有名人を網羅する 沢尻エリカ 亀田3兄弟 

沢尻エリカから亀田3兄弟まで今話題の有名人。 忘れられているマニアな有名人。 知るひとぞ知るレアな有名人。 網羅していきます。

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ダウンタウン (お笑いコンビ)

もう誰もが知ってますね。

ダウンタウン(DOWNTOWN)は、松本人志と浜田雅功から成る日本のお笑いコンビ。吉本興業所属。

日本を代表するお笑い芸人の中の一組。またデビューから四半世紀近く経った現在も、10〜30歳代を中心に熱心なファンを多く獲得している。 松本のシュールなネタと独特の間合いは、「ダウンタウン登場以降、漫才のスタイルがダウンタウンのコピーになってしまった」といわれるほど、以後のお笑い芸人(特に師匠を持たない世代の芸人層)に大きな影響を与えた。
上岡龍太郎をして「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それがコント55号ではツッコミ(萩本欽一)が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ(ビートたけし)が客よりも高くなった。ダウンタウンは2人とも客よりも高い位置で芸をやっている。これからの漫才(≒コンビ芸)はどうなるんやろ」と言わしめている。
お笑い芸人(特に大阪)を劇的に増やしたのはこの2人の芸風が簡単に見えて誰でも出来そうに見えてしまっている事が影響している。

彼らは自己の世界観を共有するスタッフと番組制作を行うことが多く、ブレーン的位置にいる高須光聖や、ミュージシャンとしても活動する倉本美津留らの放送作家陣とは付き合いが長い。


潮小学校にて2人が出会う。初めて松本が浜田を目撃した時、浜田の格好は白いパンタロンにパーマ頭でサンドバッグみたいな鞄を持っており、松本が、「モンゴルからの留学生や思た」「イタリア人かと思た」とネタにするほど強烈なものだった。また「小学校5年生にして彼女がいたというなんというハレンチな男であろうか」(『遺書』より)という話もある。逆に浜田の松本に対する印象は「正露丸(日焼けで真っ黒のため)」だったらしい。小学校での松本は、同級生の伊東くん、森岡くんとトリオ“コマ第三支部”を組み、その頃から漫才やコントを披露していた(周りの人曰く、「校内で一番面白かった」)。浜田も当時からコンビを組んでいた。

大成中学校2年時に、クラス・放送部で一緒になり友情を深める。お互いを「はまちょん」「まっつん」と呼び合う仲だった(ちゃん付けで呼びづらい雰囲気だったという)。ただお互いに“ツレ”と呼ぶ“相方”がいたためコンビを組むことは無かった。しかしある日、浜田と松本の相方・伊東がケンカし、浜田が勝利。「まっつん、行こうや!」という浜田の言葉に、松本は一瞬どうしようかと考えたが、浜田が歩き出した方角が浜田の自宅とはまったく反対だったことと、伊東の家がすぐ近くだったこともあり、知らず知らず浜田の方に付いていった。これが、ダウンタウン誕生のきっかけになる。この時の事情は、後に伊東が語ったワニブックス『放送室の裏』に詳しい。

浜田は高校で全寮制の日生学園に入れられたため、しばらくの間二人は離れ離れになった。トイレを素手で洗わせられるような厳しい学校で、何度も脱走を繰り返したと話している。今田耕司はこの学校の姉妹校の浜田の2年後輩だが、こちらは脱走に成功し、退学して夜間高校に入りなおした。ちなみに、浜田はこの学校にいたということが非常にコンプレックスであるらしく、番組で担任の先生が登場するなどしてネタにはされているものの、浜田自身の口から学校名が出たのを松本は一度も聞いたことがないという。脱走しては松本に電話し、お金を借りて飯を食わせてもらうという生活を続けていた。一方の松本は「尼崎工業高校(機械科)」に入学したが、徐々に素行が悪くなり、学校を抜け出して中学時代からの彼女とずっと遊んでいた。彼女がアルバイトに行く時は自転車の荷台に彼女を乗せ、送り迎えをしていた。

卒業後の1982年、競艇選手の試験に落ちた浜田が、地元の印刷工(アルバイト雑誌の印刷)に就職が内定していた松本を尼崎の公園に呼び出し、雑談の中で「なぁまっつんよ、あの話覚えてるか? “二人で吉本入れへんか?”言うてた、あの話」と吉本の芸人養成所「NSC」に誘い大阪NSC一期生となる。同期にはトミーズ、ハイヒール、内場勝則、浜根隆、前田政二などがいる。コンビ名は、「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変わりつづけたが、1983年に喫茶店で開いた雑誌に記載された「ダウンタウン」と言う文字から(さんまのまんまより)決め、ようやく定着する。「ライト兄弟」の名は飛行機好きの横山やすしから「飛行機をバカにしとんのか」と否定された。なお、ダウンタウンの本名はホフェッセン・フェルギル・ヌギ・ダウンタウンであると称したこともある[1]。

デビュー6年目の1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した『4時ですよーだ』という初の看板番組でブレイク。関西を中心にアイドル的人気を得るようになる。1989年、『4時ですよーだ』終了半年前に東京に本格的に進出し、ウッチャンナンチャンらと共演した深夜コント番組『夢で逢えたら』や、現在も続く『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』という看板番組を得た。


看板番組いっぱいですね。

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